堀江貴文さん『ゼロ』を読んで、今日を大事にしようと決めた。
こんにちは!イノハヤです!
堀江貴文さんの『ゼロ』を読みました。
みなさんご存知の堀江貴文さん。
堀江貴文さんにどんなイメージを持たれているだろうか。
正直、ぼくは、怖い人だと思っていた。
『ゼロ』を読んでから、この人は本当に逮捕されるようなことをしたのだろうか?と疑ってしまいたくなる。それほど、堀江貴文さんそのものの人物像を描いた本なのである。
『ゼロ』という本は、言わば、堀江貴文の伝記である。
幼少期、小学校、中学校、高校、大学、仕事、そして獄中。
堀江さんは、自らのすべてをさらけ出し、この本を書かれたのだと思う。
その名の通り『ゼロ』である。
また、堀江さんの人生につきものである、仕事観についても多く書かれていた。
働くということに悩んでいる人や、お金を稼ぐとはどういうことなのかと知りたい人は、今一度振り返って読んでほしい。
堀江貴文さんの『ゼロ』を読んで学んだこと
ひとつのことに没頭してみよう。
その作業に「ハマる」こと。何もかも忘れるくらいに没頭すること。それさえできれば、英単語の丸暗記だって楽しくなってくる。(中略)じゃあ、どうすれば没頭できるのか?僕の経験から言えるのは、「自分の手でルールをつくること」である。
ぼくはなかなか集中できない。
インターン先のメンターさんにも、会って3日で「集中力に欠ける」と言われたことがある。
そんなぼくは、没頭するためにはどうしたらいいのだろうか。
堀江さんはルールづくりのポイントとして、「遠くを見ないこと」を挙げている。
遠くを見ないとは長期的な目標を掲げすぎないということである。
人は怠け者で、長期的に大きな目標を掲げたとしても、気の緩みや惰性で結局のところ何にも没頭できない毎日を過ごすだけ。
だからこそ
「今日という1日」にギリギリ達成可能なレベルの目標を掲げ、今日の目標に向かって猛ダッシュしていく
とも述べている。
例としてこんなことも挙げている。
フルマラソンに挫折することは多いけれど、さすがに100メートル走の途中で挫折する人はいない。
どんなに根気のない人でも、100メートルなら集中力を切らさず全力で駆け抜けられはずだ。
フルマラソン:長期的な大きな目標
100メートル走:今日という1日の目標
全くもってその通りだ。
そもそも長く集中することができないのなら、「この30分はタイピングの練習をする!」時間を区切ってと短期的に集中することが良いだろう。
今日という1日の始まりの朝に、「今日はこの3つの目標を達成する!」と決めるのも良いかもしれない。
早速今日からやってみよう。
今までやってきたこと全てが、「経験」と言えるわけではない。
経験とは、経過した時間ではなく、自らが足を踏み出した歩数にカウントされてくのである。
経験は挑戦の積み重ねだ。
挑戦することで初めてそこで学ぶ。
学んだことを次の機会に活かす。
ここでぼくは、「経験」についての方程式を作った。
経験は挑戦と学びのかけ算である。
さらにその挑戦は能動的な意思決定である必要があると思う。
例えば、スタバの店員さんに憧れて、自分もその店員さんのように働きたいとしよう。
これは自らが「やりたい!」という能動的な意思決定があるから挑戦である。
実際にスタバで働いてみると、どのような動きをすれば効率的だとか、常連さんが来た時には後で話しかけに行こうとか、女性客の方が多いから、女性向けの商品を勧めた方が良いのではないかなど、多くの学びがあるはずだ。
経験は、自分がやりたいと思ったことに挑戦して、そこで学びを得ることによって積み重なっていく。
やりたいことなんて、何もないと思う人たちへ。
それっぽいことを言って、挑戦だの経験だの言っていますが、ぼくもやりたいことがわからない人のひとりです。
漠然と人と違う面白いことがしたいと思っているので、より具体的にしていこうと考えている最中です…
やりたいことがないという人たちへ、堀江さんはこんなことを書いていました。
海外の旅番組を見ていて、フランスの田園風景が映る。「こんなところに住めたら最高だなあ」と思う。
英語に堪能な人を見て、羨ましく思う。
自分と同年代のベンチャー企業家に刺激を受ける。
……それでも、これといったアクションを起こさないのは、なぜか?
理由はひとつしかない。最初っから「できっこない」とあきらめているからだ。
堀江さんの一言一言に心が打たれる。
やってもみていないのに勝手にできないと決めつけていることは多い。
しかも、「できっこない」という判断は勘と感覚でしかない。
ぼくは、逃げに走るのは嫌だ。
お金を「もらう」から「稼ぐ」へ
お金を「もらう」だけの仕事を、お金を「稼ぐ」仕事に変えていこう。
儲けるために働くのではなく、お金から自由になるために働こう。
堀江さんは、中学受験に合格した時に親に頼み込んでパソコンを買ってもらい、プログラミングをマスターした。
その後、新聞配達のバイトでお金を稼ぎ、新たなパソコンを買い、複雑なプログラムまで組めるようになった。
中学2年生の時、本来なら業者に任せるほどのパソコンのシステム移植という仕事を依頼され、無我夢中でやりきった。
作業の報酬として受け取った金額は10万円という大金。
自分の能力を生かし、自分の大好きなプログラミングを通じて誰かを助け、しかも報酬まで得ることができた。
ぼくは、そんな経験をしたことがない。
自分の能力を生かして、報酬を得ることをしたことはない。
「アルバイトはそれに入らないのか?」という人もいるだろう。
ぼくは、塾講師をアルバイトとしているが、自分の教えた生徒の成績があがることは嬉しいし、生徒の役に立っているということも感じる。
しかし、ぼくがここで大事になってくると思うのは、堀江さんは既存のアルバイトをしたのではないということである。
既存のアルバイトではなく、プログラミングという他の人とは違うことをしたことで、報酬を得るという経験は、何にも代えがたい「働く」という経験ではないだろうか。
堀江貴文さんの『ゼロ』を読んで、これからぼくが行うこと。
これからぼくはどのように生きていこうかと考えました。
ぼくの解答は、
今日を笑顔で生きる。
これに尽きます。
今日という1日を精一杯生きる。
今日という1日を精一杯楽しむ。
今日という1日を全力で駆け抜ける。
フルマラソンはできなくても、100メートル走ならできる気がします。
ゴールまで走りきったら、また次のゴールに向かって走りだす。
そうして生きていきたい。
堀江貴文さん、ありがとうございました。